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江戸時代に、すでに町の名前が!

当町会の名称は「赤坂中ノ町・新四町会」です。

この町の名前、実はとても古く、なんと、江戸時代からあるのです!

江戸時代の地図には、しっかりと「赤坂中ノ町」「赤坂新町四丁目」というのが見られます。

この地図に、現在町内にある目印となるような場所を重ねてみました。

この地名は、昭和41年7月に行われた住居表示変更まで(多少の変化はありますが)、変わりませんでした。


中ノ町小路(こみち)の場所はこのあたりなのではないか?という想像でしかないのですが、丁度家と家との間の区切りにできたのではないか?と。


さらに注目していただきたいところ、

道路の形がまったく今と同じですね!

ただし、江戸時代の古地図の特徴でもあるのですが、距離感が正確ではない、というのがあります。

ちなみに、昭和16年に作られた地図もあります。

左側に一ツ木通りなど、赤坂見附近辺が見られます。

当町会エリアは下方にあります。中ノ町、新町四丁目(これが短くなって新四)の文字が見られます。

ただ、道路の形は若干違うような気もしますが、細かく見ていくと「なるほどね・・・」という場所が見られます。

赤坂通りの裏側、鹿島建設に面している通りを日大三校通りと呼ばれますが、(旧制)日大三中の文字が見られます。

いかがでしたか?赤坂という東京ど真ん中、東京と言うと最先端のイメージがありますが、江戸時代以来の古く、伝統のあるエリアであることが分かります。

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